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  Countries, Cultures & Customs  〜国・文化・習慣など〜

English as a Global Language ~ Ireland ~

English as a Global Language Wales の場合 Ireland の場合 Liberia の場合 Australia の場合
Hawaii の場合

アイルランドには先住民族がいたようですが、ケルト族がアイルランドに住み着くようになると、やがてケルト族に吸収される形で消滅して、アイルランドはケルト人の島になりました。「アイルランド」というと、「イギリス」とどう違うのか理解されていないことが多いように思いますが、Wales 〜名前に刻まれた歴史とイメージ〜などに書いているように、英語という言語を話すようになったアングロサクソン人とケルト人は、民族や言語はもともと全く違うということを、まず理解しておかなければなりません。では、アイルランドでなぜ英語が話されるようになったのでしょうか?

ノルマンコンクエストから始まるイングランドによる支配 (関連記事 Norman Conquest〜The Battle of Hastings〜)
1066年、イングランドの王位継承権をめぐり、イングランドのハロルド王とフランスのノルマンディ公ウィリアムが、Hastings の地で戦いました。その結果、ノルマンディ公ウィリアムが勝ち王位継承権を得たため、イングランドは、上流階級がフランス人で一般市民はアングロサクソン人という構造になります。このノルマン人による支配は、イングランドにとどまらずアイルランドにも飛び火します。レンスターとマンスターの大部分は、ノルマン人封建貴族の間で分割され、ノルマン化 (フランス化)していきました。しかし、13世紀中期以降は、イングランド王はアイルランドの統治にあまり熱心でなくなり、アイルランドにおけるノルマン人の人口も減ったため、アイルランド人 は抵抗をはじめ、1270年のオート・イン・チップの戦いで圧勝し、アイルランドからノルマン軍(当時のイングランド軍)を追い出すことに成功しました。

ノルマン軍に支配された、とはいえ少なからず恩恵を受けることにもなります。現存するアイルランドの主要都市の骨格はこのノルマン軍の支配の頃にできあがったそうです。また、アイルランドの法律や司法制度なども、植民者であったイングランド人に負うところがあるようです。このように、都市計画などで、アングロ・ノルマン人(ノルマン朝時代のアングロ・サクソン人)が大きく関わっていました。また、ノルマン軍支配時代に土地を失っていたアイルランド人は、植民者であるイングランド人らに、「農奴」として雇われることになります。こうした要素があったので、アイルランドで少しずつ英語が日常語として使われ始めるようになります。こうして、アイルランドの生活様式がだんだんイングランドに似たものになっていきます。しかし、一方で北部などはイングランドの影響を受けることもなく、人々はアイルランド(ゲール)語を話し、アイルランドの文化が保たれていました。また、イングランド人でもアイルランドにすっかり溶け込み、アイルランド人と結婚し、アイルランド人以上にアイルランド人らしいと言われる「アングロ・アイリッシュ」という人たちも多くいたようです。

アイルランド語の禁止・アイルランドらしさの否定
1366年にイングランドで、「キルケニー法」という法律ができ、アイルランド語、アイルランドの習慣やしきたりを禁止しようとしたり、なんとアイルランド人のヘアスタイルまで規制しようとした法律があったそうですが、さすがにアイルランド語を禁止するのは困難だったため、これについては除外されたそうです。

1509年になり、とうとうあのヘンリー8世がイングランド王になります。これまでのアイルランド統治というのは名ばかりでしたが、ヘンリー8世はアイルランドを完全に支配し、アイルランド的なものを一切認めず、イングランドへの同化を強要しました。1541年にはアイルランド王を兼ねるようになります。このときに、アイルランドの植民地経営に携わった探検家や植民者たちが経験を積み、後に北アメリカに渡って植民地を築くことになります。

ヘンリー8世は、自身の離婚問題をローマ法王に認めてもらえなかったことから、ローマカトリックと絶縁し、英国国教会(プロテスタント)をつくりました。カトリック教国であったアイルランドにも、当然ローマ法王への忠誠を破棄するように強要したり、英国国教会の指導的立場にいる人間を Church of Ireland に任命するなどしましたが、庶民の宗教生活に特に変化は起こらず、現在にいたるまで、北アイルランド以外では、カトリック教徒が大多数を占めるという状態になっています。

アイルランドの族長でイングランドのやり方に従う者には、土地を与えたり、彼らの子どもたちをイングランドで教育を受けさせイングランド人として育てる 、というやり方でアイルランドのイングランド化をはかりました。総督や警官や裁判官ら治安当局者は、イングランドから入ってきたプロテスタントでした。上流階級はプロテスタント(English)が占め、カトリック(Irish)が支配されるという構造が続き、アイルランドのカトリックは、土地をすべて剥奪されるはめにまでなります。この時期を境に、アイルランド人のケルト人としての特質が薄まり、アイルランド語が衰退しはじめるようになります。

1600年代に入り、ジェームズ1世の時代になると、アイルランド北部のアルスターに、スコットランドやイングランドからの入植者が増えはじめます。ここで英国王室に忠実な臣下であり続けると、優先的に土地をもらえるという規定がつくられ、アイルランド人は入植者の成功を目の当たりにし、英語を使うようになります。この結果、英語は上流階級のものが話す言葉、アイルランド語はいなかの教育がないものが話す言葉という意識ができはじめ、さらにアイルランド語を衰退においやります。

クロムウェルの支配
清教徒革命の指導者オリバー・クロムウェルは、アイルランドにおける「清教徒虐殺」の報復とプロテスタントによる新秩序をもたらすため、アイルランドへ向かいます。アイルランド国内のカトリック組織が数年にわたって破壊され、カトリック教徒は惨殺され、資産は没収され、反乱に加担しなかった者 ですら、シャノン川より西に追いやられるようになります。そしてアイルランド人が改宗しないのなら、新教徒を入植させてプロテスタント人口を増やすという方策をとりはじめます。こうしてプロテスタント人口が増えた場所が、アイルランド独立後、北アイルランドとして United Kingdom に残ることとなったのです。

18世紀の、カトリック(Irish)に対するプロテスタント(English)の差別をまとめると次のようなものがありました。
 ・公職からはずされ、違反者には刑法上の処罰
 ・遺産相続権と借地権に大きな制限を設ける
 ・1729年選挙権が取り上げられ、議会はプロテスタントの意見しか反映されない
 ・5ポンド以上の値打ちのある馬を所有してはいけない
 ・武器の保有を認めない
 ・議員、政府職員、軍人、地方自治体の職員、警察官などの公務員になれない
 ・検事、弁護士など法律の専門職につけない

こうした職にどうしてもつきたいという場合には、ローマ教会を否定する宣誓書を読まなければならない、などアイルランドのカトリックにできないような条件を課したりしたのです。しかし、こうした差別を撤廃しようという意見が議会で出はじめ、1829年カトリック 解放法案が可決され、アイルランド総督といった最高職以外にはつけないものの、アイルランド人が公職につく道がとりあえず開かれることになりました。しかし、差別政策が実質的になくなることは困難でした。昔のことではあるのですが、こうした差別の歴史を知っておくと、現在の北アイルランド問題の理解にもつながります。

こうした差別待遇や、1845年に始まったアイルランドの大飢饉に対する英国政府の対応のまずさから反英感情は高まりますが、日常生活で必要だったため英語がアイルランド人に使われ続け、アイルランド語は遠隔地でしか話されなくなります。

アイルランド独立〜北アイルランド問題(マイケル・コリンズとテロリズム)
1900年代に入っても、イギリスによるアイルランド支配は続いていました。 第一次世界大戦中にイギリスが他国との交戦で忙しくなったのを機に、アイルランド人はイギリス軍への攻撃を開始し、アイルランドから追い出そうとしました。

1916年4月24日に武装したアイルランド人男女1,000人以上がダブリンの中央郵便局などを占拠し、アイルランド共和国の成立を宣言しました。この反乱は、イギリス軍の圧倒的な軍事力により簡単に散らされてしまいます。5日後、アイルランド反乱軍はあきらめ、イギリス軍の無条件降伏を受諾することになります。反乱軍の首謀者らは、死刑を宣告され、数日後に銃殺されます。首謀者の一人であり、後のアイルランド首相になるエーモン・デ ・ヴァレラは、母親がアメリカ人で、彼も二重国籍をもっていたため、刑を免れます。そしてもう一人の首謀者であったマイケル・コリンズはウェールズの刑務所にいたため偶然にも刑を免れ、後に恩赦を受けて、祖国アイルランドへ帰ることになります。

アイルランド民族主義者によるシンフェイン党(アイルランドで「われら自身」)の秘密軍事部門から生まれた IRA (Irish Republican Army)に所属していたマイケル・コリンズは、ダブリンに帰ると前回の失敗を振り返り、新たな作戦を企てます。1919年にコリンズはテロ行為を開始します。イギリス軍と真っ向から勝負しては勝てないので、警官や王室の保安隊員の暗殺、公共の建物や裁判所、警察宿舎の爆破、英国支持者の所有物の破壊といった行為に出ます。

このテロ行為に対抗して、イギリスは対テロリスト軍をアイルランドへ送ります。IRAがイギリス関係者にテロ行為を行なうと、対テロリスト軍は首謀者や関係者の家を焼き討ちにするなど、テロへの報復をしました。 これが、「英・アイ戦争」になります。わずか1年半で500人以上の兵士と警官、700人の民間人が命を失うことになりました。

1921年に停戦が成立し、マイケル・コリンズがロンドンへ向かい、妥協の産物である「英・アイ条約」に調印します。アイルランド32県のうちアルスターの6県の北部(プロテスタントが多数を占める地域)が United Kingdom に残り、南側がカナダなどと同じ自治領として独立することになります。しかし、あくまでもアイルランド全島の独立を主張する者は、マイケルコリンズを「売国奴」として非難しました。マイケル・コリンズは、友人に宛てた手紙のなかで次のように書いています。

「アイルランドのためにいったい何を得たのか。700年間求め続けたものはこれだったのか。これでは自分の死亡証明書にサインをしたようなものだ。」

この手紙を書いた半年後、彼は頭に銃弾をうけて倒れます。コリンズのことを、祖国を売った裏切り者と考えた過激派のしわざでした。しかし、イギリス支配と戦い、そして追い出したマイケル・コリンズは、英国支配に苦しんだ国民に英雄として崇拝されます。中東をはじめアフリカなどで起こった反英テロは、マイケル・コリンズを手本にしたものでした。

ご存知の通り、北アイルランドには今なお多くの問題が残されています。1967年になって、カトリックは北アイルランド公民権協会を結成しました。このときに彼らが掲げたスローガンは、なんと「一人一票」。これが“イギリス”の一部で起こっていたことなのです。ほんの30数年前の話です。

最後に…
ここではアイルランド史をイギリスとの関係を中心に 、簡単に述べてきました。このように700年近くにわたって、あるときはイギリスから多少の恩恵はうけるものの、全体的には抑圧の歴史であったといっても過言ではないと思います。こうした悲しい歴史を経て、英語という言語がアイルランドで使われるようになったのです。北アイルランドは言うまでもなく、現在「イギリス」です。ここを頭に入れて「イギリス」と口にするのと、ロンドンしか思い浮かべずに「イギリス」と言うのでは、大きな違いがあると思います。

IRA がかつて行なったような人命を奪うテロ行為は、決して許されるものではないのですが、ここで述べたアイルランドのうけた差別の歴史を知らずして、IRA を単に非難するわけにはいかないと思うのです。彼らがテロ行為にいたるまでに、何があったのかを知る必要もあるのではないでしょうか?

アイルランドは、偉大な作家を生み出してきました。Bill Bryson は、「アイルランド語の衰退」、「アイルランド人による“イギリス文学”」と「英語」について次のように述べています。

We naturally lament the decline of these languages, but it is not an altogether undiluted tragedy. Consider the loss to English literature if Joyce, Shaw, Swift, Yeats, Wilde, Synge, Behan, and Ireland's other literary masters had written in what is inescapably a fringe language. Their works would be as little known to us as those of the posts of Iceland or Norway, and that would be a real tragedy indeed. No country has given the world more incomparable literature per head of population than Ireland, and for that reason alone we might be excused a small, selfish celebration that English was the language of greatest writers. (The Mother Tongue p45)

アイルランド語の衰退という悲しい現実があるにせよ、イェーツやバーナード・ショーといったアイルランド文学者たちの母国語が英語でなかったら、彼らの偉大な作品は世に出なかったであろう、ということです。アイルランドの歴史を知ってはじめて、Bill Bryson の言う “selfish celebration” の意味が分かると思うのです。

さて、「アイルランドで英語が話されている」という事実を、みなさんはどのようにとらえますか?

参考文献
 「物語アイルランドの歴史」(中公新書)波多野裕造著
 Ireland 〜An Illustrated History〜  Henry Weisser
 The mother tongue 〜english & how it got that way〜  Bill Bryson
 
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関連ページ
 UK & Ireland 放浪記(Day 12)
参考サイト  
 The Story of the Irish Race
  Ireland Story
  Ireland's History in Maps
  The IRA & SINN FEIN
 
参考番組  History Channel 「100 Years of Terror 〜テロの遺産〜」
お勧め映画


マイケル・コリンズ 特別版MICHAEL COLLINS
アイルランド独立運動の過程をマイケル・コリンズを中心に描いています。チョムスキーが「メディア・コントロール」で述べている「テロは弱者の武器である」という言葉の意味がこの映画を見るとよく分かるのではないかと思います。