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UK&Ireland放浪記PartU 〜聖地巡礼〜 Day 4 そのA Sunday 10th August 2008

Belfast, Northern Ireland 〜ベルファスト中心部の長老派教会を巡る〜
Glasgow を飛び立ち、Belfast には予定通り 4.15pm ごろに到着しました。空港からバスで Belfast 中心地にある
Europa Buscentre まで行きました。片道料金は£6でした。5.00pmごろにバスセンターに着き、すぐ近くの
Travelodge
にチェックインしました。ここは前回 Belfast に来たときに利用したところで、場所も良かったので今回はネットで事前に予約をしていました。
Belfast International Airport 写真2枚
荷物を部屋に置いて、さっそく Belfast
の調査を開始。前回は「カトリックとプロテスタントの対立」という視点だけでしか見れていませんでしたが、今回はこの街の中心部に多くいるプロテスタントがスコットランド長老派の
Presbyterian であることが分かり、スコットランドで調べてきたことと関連づけながら見ることができました。
ホテルのすぐ近くには、Presbyterian
Assembly Building、同じ通りにメイストリート教会(May
St. Presbyterian Church)、少し北にファーストプレズビテリアン教会(First
Presbyterian Church)、Sandy Row と呼ばれる通りにも Free Presbyterian Meeting
House などがあります。
Presbyterian Assembly Building
この建物は、アイルランド長老派教会(the Presbyterian Church in
Ireland)の本部です。イングランドやスコットランドは「国教会」という形態をとっているため、それぞれ "the Church of
England"、"the Church of Scotland"
となっているわけですが、北アイルランドの場合、長老派が「国教会」という形で存在しているということではなく、あくまでもプロテスタントのある一派がアイルランドにいるという発想になるので、the
Presbyterian Church in Ireland となっています。この in と of
の使い方については、「ウェールズ聖公会」を紹介するときにまた触れることにします。
Presbyterian Church in Ireland -Church house and
assembly hall- 写真10枚
この建物は1905年に完成しており、タワー部分はスコットランド、エディンバラにある St. Giles'
Cathedral
を模して造られたそうです(左から4枚目の写真の解説)。先ほど述べましたように、ベルファストの中心部に多くいるプロテスタントは、スコットランド系の長老派(Presbyterian)です。なぜこのようになったのでしょうか。Go
to Belfast.com の解説(左から5枚目の写真)を読んでみましょう。
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The building's Scottish connection is
appropriate since the Presbyterian Church in Ireland is a daughter
church of the Church of Scotland. Its roots can be traced back to
June 1642, when the first organised Presbyterianism in Ireland had
its beginnings among Scottish regiments stationed in Carrickfergus,
just 10 miles north of Belfast on the shore of Belfast Lohgh.
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上記の英語の説明にあるように、アイルランドの長老派教会(the Presbyterian
Church)は、スコットランド国教会(the Church of Scotland)と関係があります。ここでは"a daughter
church of the Church of Scotland" と表現されています。1642年の6月にBelfast から北東十数キロ離れた
Carrickfergus
という町に駐留していたスコットランド軍長老派にまで歴史はさかのぼるようです。
1642年といえば、イングランド内戦(The English Civil
War)が始まった年です。この時代のイングランド、スコットランド、アイルランドの対立の原因は非常に複雑です。しかし、ここで説明されているスコットランドからやって来た長老派とアイルランドのカトリックの対立が、現在にも続く北アイルランド紛争の原因でもあるのです。
May Street
Presbyterian Church (May Street Presbyterian Church 地図)
May Street
Presbyterian Church
は、1829年10月18日に設立されました。最初の牧師(minister)は、Henry Cooke で
した。彼はスコットランド長老派の改革者でスコットランド国教会との結びつきを重視していました。そのため、スコットランド国教会(the Church
of Scotland)が採用しているウェストミンスター信仰告白(the
Westminster Confession of
Faith)にも従うという立場をとりました。アイルランドの長老派の中で、このような考えを持つ Henry Cooke らの宗派は "The Old Lights"
と呼ばれ、後で紹介する "First Presbyterian Church" の Henry Montgomery
らの「ウェストミンスター信仰基準には従わなくてよい」という "The New Lights" の思想と対立することになります。
May Street Presbyterian Church 写真9枚
Belfast 日曜日の街並み 〜長老派にとっての安息日の意味〜
街を歩いていたとき、ふとあることに気づきました。人がほとんどいないのです(゜o゜)。次の写真をご覧ください。ベルファストは北アイルランドの首都でもありますし、夕方5時ごろだったので、このような通りならば人で賑わっているはずなのですが、気持ち悪いくらいに人がいません。4枚目の写真のように、観光客らしい人をわずかに見かけるだけです。
Belfast 日曜日の街並み 写真4枚
観光ガイドなどには、「かつての北アイルランド紛争で危険を感じるようになったから、人が街にいない」という説明がされているものがありますが、実はこれも宗教的思想とかかわりがあるのです。高橋哲夫氏は、アイルランド歴史紀行 (ちくま学芸文庫)
で次のように述べています。
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日曜の午後に、たとえばベルファストの郊外のプロテスタント地区を歩いてみると、異様なほど人影が少なく、静かなことに気づく。聖書至上主義のピューリタンにとって「安息日を守りてこれを聖とすべし」という教えは絶対のものであって、働くことはもちろん遊ぶこともゆるされない。彼らの愛好する庭仕事でさえ、人に見られるのをはばかるという気風が根強く残っているのだ。家の中でテレビをみて笑うくらいはかろうじて大目にみようという過激さなのだ。
まさかと思われる人は映画「炎のランナー」を思い出してほしい。あれは実話にもとづく物語だ。主役の一人であるエリック・リデルはスコットランドの宣教師の息子で、エディンバラ大学の学生だった。生まれついての俊足で1924年のパリ・オリンピックの短距離の優勝候補とされていた。しかし、100メートル予選の当日が日曜であることを知り、安息日だから走らないと言い出す。衝撃を受けた英代表団は皇太子(のちのエドワード8世)までを動員して説得するが、断固として応じない。結局別の日の種目(400メートル)を走ることで「解決」することになる(世界新記録で優勝)。これがピューリタンなのである。(アイルランド歴史紀行
pp.220-221) |
「まさか」と思ったわけではないのですが、確かめるために「炎のランナー」
を購入して見ました。この映画が話題になった頃は、テーマ音楽しか印象になかったのですが、今のように宗教的視点をある程度理解できたうえで見てみるとストーリーがよく理解できました。
最初に紹介した Presbyterian Church in Ireland の紹介文にある "the
Presbyterian Church in Ireland is a daughter church of the Church of
Scotland" をヒントに、もう少しこの点を掘り下げてみます。まず、スコットランド国教会(the Church of
Scotland)が採用しているウェストミンスター信仰告白(the
Westminster Confession of Faith)の安息日に関する記述から見ていきます。
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第21章 宗教的礼拝および安息日について
7 一般的に、正当な割合の時間を神礼拝のために聖別するということが自然の法則であるように、神は、み言葉において、すべての時代の人に義務を負わせる成文的・道徳的・永久的な命令によって、安息日のために七日のうち一日を特に定めて、神に対しきよく守るようにされた(1)。それは世の初めからキリストの復活までは週の終りの日であったが、キリストの復活以後は週の初めの日に変わった(2)。これは、聖書で主の日と呼ばれ(3)、キリスト教安息日として世の終りまで継続されねばならない(4)。
1 出エジプト20:8,10,11、イザヤ56:2,4,6,7
2 創世2:2,3、Tコリント16:1,2、行伝20:7
3 黙示1:10
4 出エジプト20:8,10、マタイ5:17,18(*)
*出エジプト20:8,10をマタイ5:17,18と比較
8 それで、この安息日は、人々が自分の心を正当に準備し、その日常の用務をあらかじめ整理したのち、この世の職業や娯楽についての自分の働き・言葉・思いから離れて、まる一日きよい休息を守るのみでなく(1)、神礼拝の公的私的営みと、やむをえない義務と慈善の義務とに、全時間従事するときに、主に対してきよく守られる(2)。
1 出エジプト20:8、出エジプト16:23,26,29,30(*)、出エジプト31:15-17、
イザヤ58:13、ネヘミヤ13:15-22(**)
*出エジプト16:23,25,26,29,30が正しい
**ネヘミヤ13:15,16,17,18,19,21,22が正しい(1648年(第3版)では、13:20を含まない)
2 イザヤ58:13、マタイ12:1-13 |
次にこの根拠となっている聖書の記述をいくつか実際に見てみましょう。出エジプト記20は有名な「十戒」です。
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出エジプト記20
8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、10
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの街の門の中に寄留する人々も同様である。
出エジプト記31
15
六日の間は仕事をすることができるが、七日目は主の聖なる、もっとも厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は死刑に処せられる。16
イスラエルの人々は安息日を守り、それを世々にわたって永遠の契約としなさい。17
これは、永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。主は六日の間に天地を創造し、七日目に御業をやめて憩われたからである。
イザヤ58
13
安息日に歩き回ることをやめ わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ 安息日を喜びの日と呼び これを尊び、旅をするのをやめ したいことをし続けず、取引を慎むなら 14
そのとき、あなたは主を喜びとする。 |
「安息日に仕事をしてはならない」という発想は、こうした聖書の記述がもとになっています。ウェストミンスター信仰告白(the
Westminster Confession of
Faith)の8にある「神礼拝の公的私的営みと、やむをえない義務と慈善の義務とに、全時間従事するときに、主に対してきよく守られる」については「マタイ12:1-13」に出てくる次の記述が根拠となっています。
マタイによる福音書12
1 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。2
ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」といった。3
そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。4
神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分の供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。5
安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。6 言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。7
もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。8
人の子は安息日の主なのである。」9
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。10
すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。11
そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。12
人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に良いことをするのは許されている。13
そしてその人に、「手を伸ばしなさい」といわれた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。」 |
ベルファストの日曜日の寂しい街並みの背景には、こうした思想があるのでした。もしベルファストに行く機会がありましたら、日曜日を選んでこんなことを考えながら街を歩いてみてください。
First
Presbyterian Church, Belfast (First Presbyterian Church地図)
May Street から北に500mほど歩くと、First
Presbyterian Church
があります。名前のとおり、1644年にベルファストで形成された長老派の会衆は、1695年に First Presbyterian Church
を作りました。それがまさにこの場所です。
この教会は First Presbyterian Church ではありますが、公式ホームページでは "THE
NON-SUBSCRIBING PRESBYTERIAN CHURCH IN IRELAND" となっています。これは、先ほどMay
Street Presbyterian Church の Henry Cooke のところで紹介したように、この "First
Presbyterian Church"
が、スコットランド国教会の長老派とは異なり、「ウェストミンスター信仰告白」に同意する(subscribe
to)必要がないという立場をとっていることに由来します。そのため、"non-subscribing" という名称が付いています。
First Presbyterian Church 写真14枚
このように、ベルファストで力を持っているプロテスタントというのはスコットランド系移民(Ulster-Scots)のことと考えてよいでしょう。
しかもベルファストの街の中心部には長老派(Presbyterian)の教会が多くあるというのは、やはり彼らが強い勢力を維持していることの証であると言えます。こうした事実を知ることは非常に重要で、現在のアメリカ合衆国の宗教や政治を理解する上でも必要になってきます。
次回は、聖公会の教会であるベルファスト大聖堂、カトリックの教会であるセントパトリック教会を紹介します。
へ続く ...φ('-'*)
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